令和7年度 静岡福祉大学入学式を執り行いました。
4月2日(水)午前10時から、本学体育館にて令和7年度 静岡福祉大学入学式を開催しました。
新入生の保護者や、来賓の方々に見守られる中、入学式が挙行され、社会福祉学部、子ども学部の合計144名が希望を胸に新たなスタートを歩み始めました。
増田学長は、大学の教育理念である『共に生きる』ことの大切さを伝えるとともに、「今日から入学生の皆さんと共に、人格としての交流をとおして、豊かなコミュニケーションの世界を創っていきたいと願っています」と、祝辞を述べました。
増田学長は、大学の教育理念である『共に生きる』ことの大切さを伝えるとともに、「今日から入学生の皆さんと共に、人格としての交流をとおして、豊かなコミュニケーションの世界を創っていきたいと願っています」と、祝辞を述べました。
新入生を代表し、社会福祉学部の田中穂香さんは「静岡福祉大学は仲間と支え合い、高め合える環境であると確信しています。共に切磋琢磨し、自らの目標や前向きな未来に向けて日々精進してまいります。」と抱負を語りました。
学長式辞
静岡福祉大学学長 増田樹郎
本日、ここに入学された皆さんは、2015年9月25日、国連総会にて採択された「持続可能な開発のために必要不可欠な向こう15年間の新たな行動計画『我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ』」、つまりは2030年までに達成するべき「持続可能な開発目標、いわゆるSDGs」が採択されたことをよく知っていることでしょう。そこには「貧困や不平等、環境破壊など様々な問題を解決し、”地球を笑顔にする”ことを目指す」と記されています。
しかし、いまこの世界を見渡せば、津波のごとき大きなうねりが押し寄せて、「地球が泣いている」と言えば、言い過ぎでしょうか。「未来の子どもたちにより良い地球を残す」という約束がSDGsには込められています。私たちに託された「未来」とは何か。SDGsの最終年2030年は目の前ですが、これから皆さんが学ぶキャンパスは、この未来に対してもっとも大きな責任を負い、役割を担っているといっても過言でありません。
ところで、最近、「誰一人取り残さないno one will be left behind」という日本語訳について、「誰一人取り残されない」と訳すべきだという提案がなされています。「取り残さない」ではなく「取り残されない」と言い換える意味は、為政者や支援者の目線からではなく、当事者の目線に主軸を移して、ヴァルネラブルつまりは社会的に傷つきやすい立場にある人々の状況に向けて取り組んでいこうという声を代弁しています。文部科学省とて、たとえば「誰一人取り残されない学びの保障」を提唱しています。
皆さんは「地の塩」ということばをご存じですか。過去には、たくさんの小説や映画の題名にもなっていますし、人気俳優の大泉洋(おおいずみ よう)が主演した同名のドラマもあるようです。
地の塩というのは、「地」は大地、私たちが生きているこの世界を指しています。「塩」は文字どおり食べ物を味付けする欠かすことのできない調味料のこと。食べ物のおいしさを引き立たせる役割も果たします。一方で、身体にとって必要不可欠なミネラルであり、生命に直結する大切な働きをしています。他方では、漬物のように食べ物を長く保存したり、古くは穢れを清める作用としても使われてきました。
その白き色は、食べ物に溶け込めば目立つこともありません。注目されることもありません。でも、とくに特別ではないけれど、でも無くてはならない存在として、唯一無二の存在として、この世界ににあって大切な働きをしています。地の塩とは、これを人にたとえて一人ひとりのかけがえのない〈いのち〉のはたらきを表現したものです。
ここに集っている皆さんもまた、たとえて言えば「地の塩」としてのすぐれた働きを、豊かな可能性を、大きな存在の意味を担っていると言っても過言ではありません。未だ知らぬどんな未来が待っているにせよ、他者や世界と出会うことをとおして、あなたを必要とし、あなたを愛し、大切な存在として受け入れて、「共に生きる」者となることは、人として誰しもが共通に待っている豊かな未来です。私たちはそれを信じることができます。
2023年秋、私は仲間たちと一緒に、「しずおかTIP-OFF(ティップオフ)奨学金」を立ち上げました。ティップオフとは、バスケットボールの試合開始時のジャンプボールのことです。これは障がいのあるこどもたちの「大学に行きたい」という「声なき声」に押されて設立したものです。「毎年5名」「返済なしの月5万円の給付」を行う制度です。TIP-OFF奨学金は、高校での成績、親の経済状況、障がいの種別などは、選考の条件となりません。ただただ「大学で学びたい」という強い動機だけが採択の基準となります。
たとえば、ある応募者は、摂食障がいの女性でしたが、彼女は管理栄養士をめざして大学で学んでいます。奨学金のニュースレターでも、実名で近況を語る女性です。やせ細る自分の〈からだ〉と向き合いながら、摂食障がいの体験をとおして栄養学を学び、管理栄養士をめざすその学びの姿勢に、強い共感を覚えています。
TIP-OFF奨学金の設立の主旨文を私はこう認めました。
半世紀も前のこと、北米のある集会で一人の当事者が、「障がい者と呼ばれるのではなく、私はまず人間として扱われたい」と声を挙げました。「ピープルファースト」(まず人間として)という呼びかけが始まりました。ノーマライゼーションやインクルーシブの原点といってもよいのでしょう。
当事者が自らの意思や権利を主張する活動は、何よりも医療、福祉、教育の場において拡がりました。障がいのある人の大学等の進学率は、わずか数%。高等教育を受ける可能性や機会のないままに、障がいを理由として自らのライフステージを狭めるほかないことも少なくありません。「ガラスの天井」の先はまだ見えないのです。ピープルファーストという言葉には、いわば当事者の「人間宣言」が込められているのです。
大学において自らの人生や未来を拓こうとして入学した皆さんが、一人ひとり個性ある優れた才能や資質に溢れ、学びへの大いなる希望や意欲を抱いていることは言うまでもありません。高校生活で交流のあった友人や教職員の方々との出会いがあり、何よりもご家族の惜しみない支えがあり、それゆえに選ばれて本日を迎えていることをどうか忘れないでください。
「人格をもつ」とは、この世界で自分自身に割り当てられたテーマと真摯に向き合う「責任主体」を指しています。ご存じのように、人格と訳されるラテン語の「ペルソナ」は、性格や個性、役割や仮面など多様な意味をもっています。その言葉の根源には、〈こだまし合う存在〉〈響き合う存在〉としての人本来のあり方が込められていると言われます。私たちはそれを〈わかりあう、わかちあう〉という意味で「コミュニケーション」と呼んでいるのです。
今日から入学生の皆さんと共に、人格としての交流をとおして、豊かなコミュニケーションの世界を創っていきたいと願っています。
終わりにあたり、本日ご列席を賜りましたご来賓ならびにご家族の方々には、フレッシュな若者たちのキャンパス生活の始まりを祝福くださいまして、心からお礼を申し上げます。青年期は、夢や希望に満ちています。ときに生きることへの大きな揺らぎや迷いもあることでしょう。その全てを支えていくために、今後とも皆さまのお力添えをいただけますようにお願いを申し上げます。本日はまことにありがとうございました。