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お知らせ

令和6年度 静岡福祉大学卒業式・学位記授与式 を挙行しました


令和6年度 静岡福祉大学卒業式・学位記授与式を令和7年3月13日(木)に挙行しました。
静岡福祉大学 体育館において行われた式典では、社会福祉学部97名、子ども学部35名、計132名が卒業・修了し、各学科の代表者が増田樹郎学長から学位記を受け取りました。

増田学長は式辞で、「共に生きる世界において、皆さんが豊かな未来を確かに切り拓いてくださることを固く信じます。」とエールを送るとともに、「『VUCA ブーカ』の時代だからこそ却って『共に生きる』営みを大切にしてほしいと願っています。」と切望しました。

卒業生を代表して、子ども学科の齋川蒼斗さんは、「講義やゼミ活動で、かけがえのない友人たちと共に学び、諸先生方や地域の子供たちとの出会いが、四年間の学生生活を豊かなものにしてくれたと確信しています。これから新しい道を歩んでいく中で、厳しい現実を前にすることもあるかもしれないが、静岡福祉大学での学生生活を通じて培ったものは、きっとその時役に立つと信じています。」と答辞を述べました。

卒業生たちは、このあと各教室に向かい、学科の教員から個人個人、学位記を受け取りました。また、キャンパスで記念写真を撮ったり学生生活最後の思い出を紡ぎ合っていました。

卒業式会場の写真

卒業式の様子

学長式辞の様子

学生答辞の様子

卒業式の様子

卒業式の様子

学長式辞
静岡福祉大学学長 増田樹郎

 2023年5月5日、世界保健機構(WHO)は、新型コロナウイルスについて「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態の終了」つまりは「実質的な収束宣言」を発表いたしました。2020年1月30日の発出からおよそ3年3カ月の間の情景はまだ記憶に新しく、皆さんの大学生活とも重なっています。罹患への不安が軽減されて、穏やかで安らぎのある日常が戻ってきたことをいま私たちは体感しています。その折、WHOは、「新型コロナは世界を変え、私たちをも変えた。これがあるべき姿だ。」というメッセージを公にしました。
 「これがあるべき姿だ」ということばには、病や病める者への「まなざし」を持たず、〈いのち〉への敬虔さを失ったコロナ禍以前の世界を深く省みることが大切なのだ、この理解をとおしてこそ「未来の世代に希望をつなぐ」ことができるという意味になるのでしょう。
 〈いのち〉は〈いのち〉につながっている、という実感を強くしたのも、100年に一度と言われるこのパンデミックの体験をとおしてでした。「過去に眼を閉ざす者は、結局のところ現在にも眼を開くことはない」というドイツの大統領ヴァイツゼッカーの言葉が浮かんできます。

 30年前の阪神淡路に始まり、3.11の東日本、そして最近の能登にいたるまで、私たちは多様にして豊かな「里山」の風景が、深い「哀しみ」に包まれたことを知っています。他方で、その過酷な状況から勇気を持って立ち上がる人々の底力をも目の辺りにしてきました。
 その頃に私たちが耳にしたことばは、「エッセンシャルワーカー」という呼称でした。医療、福祉、介護、保育など、日常生活を安心するうえで「必要不可欠な」な仕事に従事する人のことです。語源であるラテン語の「essentiaエッセンティア」は、本質存在つまりは絶対必要な,欠くことのできない〈いのち〉の営みであることを教えています。
 過酷な状況のなかで、〈いのち〉をつなぐために働いている人々の姿をとおして、どれほどの勇気とほんとうの「生きる力」を知り得たでしょうか。支える者と支えられる者との間で交わされる「ありがとう」のことばがその原動力でした。

 本日、ここに卒業していく皆さんは、生まれきて胸に抱かれて育まれていく幼い〈いのち〉、老いて温かな人の手を求める〈いのち〉、その間にある長いライフステージにおける人としての尊厳や幸せに生きることの意味について学んできたことでしょう。在学中に得た数多くの学識を思い返してみてください。
 ストレングス、レジリエンス、リカバリー、アドボカシー、コンピテンシー、インクルージョン、アタッチメント、ヴァルネラビリティ、ワーカビリティ、エンパワメントなど。
 取りあげればキリのない無数のことばが思い浮かぶことでしょう。その一つひとつは、〈いのち〉に寄り添い、〈いのち〉と向き合い、これを支えていく実践のなかから生まれてきた言葉です。出会いのなかで大切なことに気づき、これを理解し、私たちの人間観や世界観を豊かに膨らませてきたきっかけでもあったのです。

 皆さんは、ニューヨークのリハビリテーションセンターの壁に記された一編の詩をご存じでしょうか。患者さんが書き残したと言われている『病める人の祈り」と題されているものです。

  大事をなそうとして力を与えてほしいと神に求めたのに、
  慎み深く従順であるようにと弱さを授かった

  より偉大なことができるように健康を求めたのに、
  より良きことができるようにと病弱を与えられた

  幸せになろうとして富を求めたのに、
  神の前にひざまずくようにと貧しさを授かった

  人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
  あらゆることを喜べるようにと生命を授かった

  求めたものは一つとして与えられなかったが、
  願いはすべて聞きとどけられた

  神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、
  心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた

  私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ
 
 何かの宗教のイメージを表そうとしのたではありません。
 とは言え、全体として逆説にみちた表現ですので、少しわかりにくいかもしれません。本学で学んだ皆さんならばこのニュアンスをわかってくださることでしょう。ため口風に言えば「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、眼には見えないんだよな。」(サン=テグジュペリ)という意味になります。

 最近、時折耳にする 「VUCAブーカ」とは、今を生きる私たちの時代が、大きく変わり行きつつあり、不確実であり、複雑さや曖昧さに富んだ予測ができない世界なのだというそれぞれの頭文字を組み合わせたことばです。2016年の世界経済フォーラム(通称ダボス会議)から拡がったと言われます。
 たとえブーカの時代だとしても、皆さんの人生には、家族、友人、恋人、知人など、数多くの「共に生きる」〈いのち〉の営みがあります。いつでもどこでも傍らにあり、わかちあい、わかりあうことを大切にして、ブーカだからこそ却って「共に生きる」営みを大切にしてほしいと願っています。

 終わりに際して、私には94歳になる八木誠一という哲学の恩師がおります。私のような年齢でも、毎月1回、ズームで恩師の講義を聴くことを何よりの励みとしています。そんな恩師がこう語りかけるのです。「本来、人間はきよらかで、やさしいこころをもっているのだよ」と。言い換えれば「平和を願い、真実を求め、これを語る誠実さ」のなかで生きているんだ、というのです。
 皆さんは、人間を「きよらかで、やさしい」〈こころ〉をもつ存在として認めることができますか。きよらかな〈こころ〉は自らへの問いかけを、やさしい〈こころ〉は他者への語りかけを意味しています。生きることは、眼には見えないけれど、たくさんの語りかけがあり、これに応答していく無数の出会いを体験していくことです。
 共に生きる世界において、皆さんが豊かな未来を、確かに切り拓いてくださることを固く信じて、式辞といたします。
 ご卒業を心からお祝いいたします。おめでとうございます。
 終わりにあたり、本日ご臨席のご来賓の皆さま、ご家族の皆さま、前途有為な若者たちの卒業を共にお祝いくださいまして、心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

(2025年3月13日)
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